母の内職

私が幼稚園に通い始めた頃、母は内職を始めた。生活は苦しかったが、戦前生まれの父の「女が働きに出るなんて情けない」という考え方を尊重してのことだ。収入を増やしたいけれど、外には出られない母にとって、幼稚園のママ仲間に内職を紹介して貰えた事は渡りに船だったと言う。

母の内職は、靴作りだった。車で20分くらいの所にある靴の町から団地の多いうちの地域に運ばれてくるのだ。飾りになる小さな部品をベルトに取り付けたり、靴の甲の部分とサイドを縫い合わせたりという作業だった。最初の数年間は、縫い合わす作業が多く、我が家には大量の靴の部品が毎日あった。1日で50~100足くらい貰ってくる。最初は裁断された布だが、縫い合わせば当然に嵩が高くなる。45リットルのゴミ袋でも入りきらない程の量だ。我が家は狭かったので、私の勉強机の隣にそれが置いてあったりする。当時は邪魔だと思っていたが、今になって思えばそのゴミ袋が我が家の貴重な収入源なのだ。


母の思い出に+1

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母の手
一人目の旦那さんと学生結婚をしてから、私の父と再婚して私が幼稚園に上がるまで。母は子育てと家業の喫茶店の手伝いしかしていなかった。そんな母が35歳になって初めてした仕事が靴作りの内職。これをした事で、母に大きな変化があった。今までは、誰が見ても「働いた事のない手」だった母の指がどんどん太くなり、そして曲がっていった。どうやら油をつけた糸で靴を縫うという作業は、一般の裁縫に比べて強い力を使うらしくそ
手仕事の内職の今
大人になった私が内職をしようとすると、自宅の近所では斡旋している会社は全く見つからない。母がお世話になっていた靴会社の内職も続いてはいるが量はぐっと減ったと聞く。時代の流れで機械での作業が大幅に増えて、自宅でできる手仕事が減っているそうだ。困った時はグーグル先生に聞こうとネットで調べてみると検索には引っ掛かるものの、どうしても応募してみる気にはなれない。テレビで見た、内職商法の特番の影響かもしれな